二宮尊徳の教えは農業だけに特化せず、今でいう金融や不動産、儒教(古代中国の教え)と多岐に渡っていました。しかし、農家の立て直しや村おこしに一朝一夕で効果のある特効薬はなく、地域経済と人びとの心を少しずつ立て直していくしかないと考えていました。また、経済ばかりを優先しても持続可能な成長はなく、根底には道徳心が欠かせないものと説いていました。

尊徳の教えは、
「積小為大」(小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく)
「至誠」(誠を尽くす)
「勤労」(よく働く)
「分度」(自己の財力に応じて予算を立て、合理的な生活設計を行う)
「推譲」(分度をして残ったものを他に譲り、世の中のために尽くす)
を原則としていました。

加えて、これらの教えの根本をなすものとして、「たらいの水の教え」というものがあります。「仁や義とは、このたらいの水のようなものだ。このたらいの水を手で自分の方にかき寄せると、一旦は自分の方にくるがまた向こうへ流れていく。逆に、向こうへ流してあげれば、一旦は向こうへいくがまた自分の方へ帰ってくる」。これは私利私欲に溺れることなく、利他の心、すなわち世間様に尽くし社会に貢献をすれば、いずれ自らに返ってくるという考え方です。

ひるがえってみると私たち日本人は、欧米の合理主義精神を学び、世界屈指の経済大国となりました。しかし、それは短期的な利益第一主義となり、大量生産、大量消費、そして規模の経済を生かすことが有益であるとされる社会構造をつくってしまいました。また、物やお金を優先させるあまり、貴重な資源の浪費、農産物価格の低迷、環境破壊、家庭や地域の軽視という大きな社会的問題を頻発させる原因にもなっています。しかし、一方で、彼(か)の大震災を端緒として、これまでの行い、日本および日本人が進むべき道を見直す動きも強くなってきています。

「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」

尊徳はこのようにもいっています。経済一辺倒、道徳一辺倒といった偏った考え方はいずれも持続可能な発展には結びつかず、道徳と経済が一体となった社会でなければならないというものです。道徳と経済の一元化。私たちの生き方にも大いに生かすことができます。

物や人に備わる、良さ、取り柄、持ち味、そして可能性を信じ、伸ばし、世のため人のために役立てていく。尊徳翁のような先導役を、たとえ少しずつでも私たちは担う必要があるのではないでしょうか。