前回紹介した至誠と実行、その提唱者である二宮尊徳(二宮金次郎)は、農業分野における経営の伝道者でもありました。

薪を背負って本を読む二宮金次郎像で有名な尊徳は、1787年7月に神奈川県小田原市の比較的裕福な農家の長男として生まれました。幼い頃から教養のある父に教育を受け、優しい母の慈愛を受けて幸せに育ちました。
しかし、異常天候のため地元の川の氾濫が重なり、荒れてしまった田んぼや畑の回復ができず、父母は心労や苦労が重なり相次いで死去。一家離散という事態に遭遇します。
その後は、伯父の家に預けられましたが、逆境にめげることなく才能を発揮します。稲の捨て苗や菜種を空き地に植えて収穫し、「積小為大(小を積んで大と為す)」という経済原理、行動原則を身をもって学ぶのでした。

そして、毎年、その収益を増やして田畑を買い戻し、成人後に「我が家の再興」を果たします。
その後はその手法を伝えることに尽力し、近親者のみならず小田原藩家老服部家の再建にも成功します。
やがてその優れた発想と実行力が藩主大久保忠真(たたざね)から見込まれ、財政難に苦しむ藩主の身内、現在の栃木県にある桜町領の再建を託されます。尊徳はこれを契機に、村おこし、国づくりの仕事に邁進することになります。

桜町領の再興には、10年の歳月がかかりましたが、その成功は近隣の注目を集め、各地からの要請が相次ぎました。復興や飢餓の救済に、文字通り飛び回ることになります。

貧困にあえぐ村を再建していく手法を報徳仕法といい、ここに尊徳の仁徳を見ることができます。
まずは、村を管轄する藩に、村が再興するまで年貢を少なくしてもらい、収入が少なくなる藩にも倹約をお願いします。まずは年貢が少なくなることで、構成する人たちの生活を豊かにします。
その次に、人びとの心に余裕ができた時点で農業改革に着手。少しずつ収穫が上がれば、少なくなった年貢を超えた分を貯蔵して余裕を作ります。
その余裕分を次年度に回したり、余裕分を元手に農地を更に改革して収穫を上げたりしてきます。

70歳でその生涯を終えるまで、天命として伝えた報徳仕法の手ほどきを受けた地域は六百の村々に及びました。

尊徳の死後、自身の所有する土地や財産などはなかったそうです。各地の農業改革に身を捧げた人生でした。
報徳仕法とは、節約と蓄えによる農業経営と伝えられていますが、その根本にあったのは仁、つまり思いやりや慈(いつく)しみの心ではないか、と私は考えます。

至誠と実行という芯の強さは大切です。
しかし、たとえ自分が天の道の沿い、正しいと高らかに述べても、それを押し通すだけでは、万事がうまくいくとは限りません。強い決心の一方で、人びとに寄り添う思いやりや慈しみという柔らかな心も持ち合わせた尊徳だからこそ、多くの人たちは教えを請いにきたのでした。

剛柔あわせもった尊徳の行き方は、私たちに大切なことを教えてくれているような気がします。