第11回介護木鶏会にあわせて『致知』10月号「天に星、地に花、人に愛」の感想文を書きました(錦織靖生)

致知&木鶏会、読書会

皆さん、こんにちは。

北九州営業所・営業部長の錦織靖生です。

マイハート倶楽部・石原陽児先生と弊社との主催によります「介護木鶏会」、本日、第11回の例会を開催しました。その開催にあわせて、私も『致知』10月号の感想文を書きました。以下にその内容を転載しますので、ご高覧いただけましたら嬉しく思います。

「天に星、地に花、人愛」
「心臓は1日24時間、1年365日、一時も休まず、必死、懸命の営みを繰り返しているのだ。もし人間が同じことをやれと言われたら数分もしないうちに根をあげてしまうだろう。こんな事は人間にはできない。神業である人間の命は我々のあずかり知らないところで繰り返されている神業によって支えられている。」

私は脊椎動静脈奇形という難病を患っています。発覚は丁度、10年前の今頃です。

医師からは、奇形の血管が破裂した場合、その瞬間に寝たきりになると告げられました。それは、今この瞬間かもしれない、明日かも、1ヶ月後かも、、、
その恐怖心は想像を遥かに超えました。毎日泣いて、まさか自分がこんな事になるとは、ましてやまだ25歳。これからだと思っていた矢先の出来事でした。唯一、希望の光となった言葉は、一生破裂しないかもしれないとも言われた事。
その望みに今も心は救われていて、「絶対、破裂しない」と強く言い聞かせています。

幸い悪運が強いのか、まだ破裂していません。

特集総リードを読み、「当たり前を当たり前と思うな」と言われているように感じました。今ある時間や命も当たり前でなく、大切にしないといけない。本当に危機的状況やその時にならないと、この当たり前にある時間や命に対して真摯に感謝できないと思います。最近では少し右麻痺が進行しているので、身をもって「ヤバい?」と感じています。ですが、本音を言いますと、まだ危機感はあまりないのです。なぜか大丈夫、私だから大丈夫と思ってる自分がいます。もしかしたら映画やドラマのような「奇跡がおこるのでは?」という薄い希望がずっと心にあります。

この文章を読み、あ!病気になって10年、「病気になった事が当たり前になっていたな」と気付かされました。病気になり訪問看護の環境に飛び込んだことを思い出しました。10年前は肉体労働しかしてこなかった自分に後悔もしました。やらなくてはいけないと覚悟を決めたのはこの時です。初めて自分のために勉強しました。訪問看護で私より辛い病気と闘っている方をたくさん見てきました。そのうちに、自分のためでなく、人のために仕事するように思考が変わっていったと感じています。

発覚した時の悲しみや、乗り越えようとした努力を忘れてはいけないと改めて思い返せました。難病をかかえたからこそ、当たり前が当たり前じゃなくなる感覚を、普通の人より経験できている事は強みになると思っています。両親に対しても、こんな体に産んで!!なんて事は思いません。生きづらさは感じますが、障害がある私から両親に贈る言葉は、「お父さん、お母さんの所に産まれた事が一番の幸せ」です。そこが一番安心できる場所でもあり、文句を言えわがままになれる場所にもなります。

病気になっても、一人にならず周りに愛があり支えられたからこそ、今があると改めて感じられました。

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