「無知の知」自分は完璧な人間ではないという認識

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

 前回取り上げた構造化について、要は自分の過去のいくつかの成功体験の中から共通する論理的な知見を抜き出し、相手にわかりやすく伝え活かしてもらうということに尽きるのだと改めて考えていました。

 このことというのは端的にいうと、「相手に情報が伝わっているのかどうか」「相手が着手しやすい論理構成となっているか」という、物事のコミュニケーションの原点である「相手の立場に立って考える」ことの重要性に帰結していきます。
 ここから先は私自身の反省もふまえながら書いていくのですが、リーダーというものは当然、メンバーよりも失敗も成功も体験数が多いものです。そして、これらの大切な経験知をもとに何かのことを伝えていくという貴重な役割の機会が多く存在しています。皆様におかれましても、どうしても持っている情報が多いがゆえに、「相手の理解が追いついているかどうか」「相手の思考を実行フェーズまで落とし込めているかどうか」を気にせずに突っ走ってしまうということはないでしょうか。恥ずかしながら私は多々あります。

 時として、リーダーはメンバーの得心の如何を問わず、断固として無理矢理にでも行動を押し進め組織を前進させなければならないことがあることも純然たる事実です。しかしながら、「皆が理解ができているかどうか」ということを、毎回毎回すっ飛ばしていては、もちろん組織の活性化や自律的な成長にはつながりません。

 すなわち、私たちは相手の立場に立った発言ができるということを、本来は目指すべきです。しかしながら、たとえそれが出来なくても、少なくとも「自分の発言には相手の理解を促して進めていこうとするところが欠けている」ということだけでも、私たちの頭の中で持っているかどうかということだけは忘れないようにしたいものです。この認識さえあれば、たとえ自分の発言が先駆的過ぎてすぐに共感や理解を得なくとも、ナンバーツーの方など別のメンバーが噛み砕いて説明し、フォローをしてくれる可能性が高くなります。

 この流れを想像したとき、私は古代ギリシャの著名な哲学者ソクラテスの名言である「無知の知」という言葉を思い出しました。「私は完璧ではなく、間に合わない部分を持っている人間である」「私は百点満点ではなく、知らないこと、理解できていないことが多い」ということを、謙虚な心で常に認識していたいものです。

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