いよいよ新しい元号である令和の時代がはじまりました。この元号には「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ」という想いが込められているそうです。

今回の拙稿では、あらためて「心」について、とりわけ相手の心について述べて行きたいと思います。

「相手のことを考え、思いやり、相手の立場にたつことが大切だ」

頭ではわかっている人は多いものです。しかし、いざ行動となると、途端に難しくなります。私自身も日々実践することは本当に難しいことを痛感します。また、自分が「相手のことを考えた」と思って行動したのに、相手にうまく伝わらず、気持ちを受け取ってもらえず、お互いに残念な後味が残った。そんな過去の経験から、実践にためらいを感じる人も多いようです。

多様性が叫ばれる昨今、性差はもちろんのこと、育った環境や年代が異なる人たちが集う仕事の現場では、TPO、すなわち時と場所、そして場合に応じて手法を誤り、相手への思いやりのはずが、いつのまにか「自分の思い込み」によるありがた迷惑に受け取られてしまうこともあります。特に昨今はIT技術の急速な伸びにより、年代によって好まれる伝達の手段も異なります。

しかし、どうせ相手の気持ちは分からないものとだといって、事実のみ、論理のみを官僚的に伝え、コミュニケーションから相手を思いやる気持ちを取り除いてしまったらどうなるでしょうか。いつしか擦り切れた糸のように仕事上の信頼関係を構築することが困難になってしまうはずです。大切なことは、それが会社の中であっても外出中であっても、メールやFAXによる連絡であっても、手段はどうあれ相手に対する心遣いが添えられているかどうかです。

例えば、相手に対して感謝のことばを伝えるときに、自分の中に本当にありがたいという想いが乗っているでしょうか。また、謝罪のことばを発したときに、本当にそこに申し訳ないという気持ちが乗っているでしょうか。自分の中の気持ちと、自分の外にでていく言葉が一体となっているかどうか。その差に開きがあればあるほど、それは軽く感じてしまったり、冷たく感じてしまったりするものです。逆に、言葉と気持ちが一致していれば、時と場所、場合を多少誤ってしまっても、相手の心にきっと響くものです。

お礼を伝えるときは、相手にありがたいという心を言葉にこめて。お詫びを伝えるときには、ごめんなさいの心をその言葉に添えて。令和の時代は美しい心の時代です。そんな気持ちがコミュニュケーションに清々しく温かい風を伝えていくものだと思います。