二宮尊徳「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」

先日、松下政経塾が主催する経営者向けの合宿に参加しました。松下幸之助と二宮尊徳の考え方から永続経営を学ぶというもので、そのプログラムの一環として二宮尊徳(金次郎)を御祭神とした神奈川県小田原市の報徳二宮神社を訪問し、宮司の草山明久氏の講話を聞く機会をいただきました。

冒頭の言葉はその草山宮司から教えていただいたものです。また、時を同じくして当社の現場におきましてもこの言葉の大切さ、特に後段を痛感する出来事がありました。そこで、本日は改めて私なりにこの言葉の意味を考えてみたいと思います。

はじめに、前半の「経済なき道徳は戯言」のくだりです。私たち企業人は、価値を提供した以上、それに応じた適切な対価をいただく必要があります。そしてその対価を受け取ってこそ、企業は利益を創出することができ、その利益でもって事業を継続し、次代への投資を行い、発展していくことができます。どれだけ素晴らしい理念を持ち、商品やサービスを提供していたとしても、継続できなければ、結果として世の中の発展のために価値を提供することはできません。だからこそ、尊徳翁は経済なき道徳を「戯言」と表現しています。

一方で、企業の目的や事業の成功をどこに置くのか、ということになったときに、これを「利益を出すこと」のみとして良いのか、という問題もあります。もちろん利益というものは重要な構成要素の一つではありますが、「お金を稼ぐことができれば何でも良い」というわけではありません。お客様を顧みずに粗悪な物を提供したり、過度に仕入れ先を叩いて値段を下げさせ、不義理をしてまで自分たちが稼ぐことができれば良いというビジネスにはもちろん永続性がありません。そこで、どのような事業にも何を目指すのかという、「理念」というものが必要なのだということを改めて学びました。

幸いにも私たちには「日本でいちばん幸せを感じられる会社を作る」という志があります。日々の経営と現場の活動、その中に志という一本の軸が通ってこそ、はじめて経営者と社員の現行が一致し、顧客の指示を得て、仕入れ先に信頼され、継続性、発展性が生まれていきます。

最後に、これらの価値を永続させ、発展させていく秘訣こそが、松下幸之助が仰った「天地自然の理法」であると解釈をしました。次回はその「天地の理法」について考えてまいります。

当社コラムをご覧いただきありがとうございました。
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