二度とない人生をどう生きるか/『修身教授録』(著・森信三先生、発行・致知出版社)の感想文を書きました

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング), 致知&木鶏会、読書会

加藤滋樹です。

先日、ある勉強会において致知出版社より刊行されております森信三先生の歴史的大著『修身教授録』の感想を発表いたしました。

以下に転載をしましたので、ご高覧をいただけますと幸いです。

「二度とない人生をどう生きるか」
深く考える大きな機会となりました。本書をご指定いただいたご縁に感謝しております。

この感想文は三つの構成になっています。一つ目は感想文を書くにあたり現地現場に触れてきたということ、二つ目は印象に残ったお言葉とその書感、三つ目は本書全体を通じての感想と決意です。

(現地現場)
はじめに、現地現場からの感想について述べます。もともとこの書籍は手元にありました。知人の経営者の誕生日にお送りしたこともあり、愛読をしていたつもりでした。しかし、今回、改めて読んでみると、今までとは違ってすっと体に入ってくることが沢山ありました。かつての自分と今の自分、何が違うのか、この講義においても、日々の仕事の現場においても日々困難にあたり、多少なりとも何かが変わってきていること、そして何よりも私たちの志である「日本でいちばん幸せを感じられる会社をつくる」ということが、心底に染み渡ってきていることを、この今回、あらためての本書を読むことを通じて心身の変化を実感しました。

また、この感想文を書くにあたり、現地現場現物に触れたいという意識がどうしても高まりました。幸い、森先生は小生が住んでいる愛知県の半田市ご出身。先ずは、社長(妻)と森先生が眠っておられるお墓とそのお隣にある歌碑を訪れました。また、後日、半田市立博物館にある先生に関する展示物を見学しました。さらに、どうしても原点に触れたいという思いが強くなり、実際に昭和17年に発行された初版の『修身教授録』も入手しました。
 
本書全体を通じて、そして現地現場現物に触れてみて体得したことは、「教育者とはどうあるべきか」を超えて「人としてどうあるべきか」「どう志を立てるべきか」という人生における本質的な問いに対するご自身の答えを、ご体験、歴史上の偉人の話題を交えながら、文字通り命をかけて相対する受講生やその先の「私たちのような未来の読者に語りかけておられた」というこということです。

(印象に残ったお言葉と所感)
次に各々の森信三先生のご講義において、小生が印象が感銘を受けた言葉を引用しつつ、順に所感を述べていきます。
 
第一部の第32講「目下の人に対する心得」のP220「自分より目下の人から、思いやりのある人と慕われるような人間になる」や、「敬愛」という「親しみと尊敬の念を持つ考え方」に反省しました。年長者だけでなく、年下の者、立場の弱き者にこそ心がけを働き、自己を磨かなくてはなりません。

第39講「教育の窮極」では、教師として通過すべき三つの段階と自らを重ね合わせました。第一である「生徒たちを一箇の生きた魂としてかき抱く」、第二の「親の身として実にかけがえの無い大事なお子であると真に実感する」こと、第三の「眼前に居並んでいる子供たちがそれぞれの角度から国家を支える大事な一人であると骨身に染みて実感すること」とありました。これらは、リーダーとしての小生の役割にも通じるところがあります。若手の社員が本社に相談にくることがしばしばありますが、上記のような心構えを持って、大切な人物であるとして相対をしていたか、小生の真摯さに反省をするばかりです。

第二部の第2講「立志」では、小生が大切にしたい志について書かれており一番真剣に読み解いた箇所です。P296の「ひとたび真の志が立つならば、それは事あるごとに、常にわが念頭に現れて、直接間接に、自分の一挙手一投足に至るまで支配するところまでいかねばならぬ」という文章が心に響きました。小生には、そして私たちの会社には「日本でいちばん幸せを感じられる会社をつくる」という志があります。小生自身が最初に信条として本当に心に信じ込み、染み渡らせ、それを周りに伝播をさせていき、判断の指針として参りたいと考えを新たにしました。

第19講「自修の人」では、P402「自己を築くのは自己以外にない」ということを改めて覚悟しました。万物皆我師、日々の生活は「自分という彫刻」に自己を刻んでいく修練の繰り返しであるとおいうことを自己に問い続けていきます。

第27講「世の中は正直」のP446「最善感」は、小生の尊敬する松下幸之助の仰った「全体として長い目で見れば、世間はあたかも神のごとく正しい判断力をもっている​​」ということに通じるものがあると感じました。降りかかってくる出来事の全ては絶対必然であり、絶対最善である。これには本当に勇気をいただきました。コロナ禍がはじまってもうすぐ二年となります。2年前の今頃までは、自分の人脈や行動力、知見で経営はなんとかなると多少は思ってました。M&Aや海外拠点など、何か大きなことをやってオセロをすべてひっくり返すようなことをやろうと思っていました。しかし、それは大きな間違いでした。コロナ禍があったからこそ、困難に立ち向かっていくことでありがたい仲間が増え、手を携えて志に立ち向かっています。まさに今、未来を切り開いている実感が大いにあります。

そしてそれらに通じるのが、第34講の「ねばり」です。小生の良いことも悪いこと、ひょっとすると難儀のほうが多いかもしれませんが、それでも志があるからこそ、この「ねばり」を持ち続けていられます。そのねばりをこれからも持ち続けていきます。

困難に直面するという点では、第36講P502の「諸君は階段を昇るとき、まるで廊下でも歩くように、さらさらと昇る工夫をしてごらんなさい」という言葉が大いに学びとなりました。坂道の時でも平地を歩くことと同じように。人生の逆境も「さらさら」とさり気なく越えていく。そんな非常な精神力、森先生いわく「平時の二倍では足りない、三倍以上の心の緊張力」を持って人生を歩んでいくよう自らの姿勢を正しくしていきます。

本書の最終講である第39講「わかれの言葉」では、P523「師匠に対する最高の報恩は、まさに師を越える一路の外にない」というメッセージに大いに勇気をいただきました。小生にも有り難い師匠が大勢いらっしゃいました。自己を鍛錬し、まさに師匠を越えることができるよう、磨きをかけて参ります。

(全体を通じて)
最後に、全体を読んでの感想を述べたいと思います。「修身」と聞くと、「昔の道徳」と捉えられてしまいがちですが、本書からみられる森先生の教育方針は、往時の修身の教科書を良い意味で無視をされ、それを超越し、自身でご指導の内容をご考案されておられました。 

人生は実質三十年。二度とない人生をどう生きるか。
 
森信三先生の作品に触れるたびに、困難に立ち向かっていきたいという勇気が湧いてきます。逆境は神の恩寵的試練なり。難儀はあったとしても、志を高く掲げ続け、心を磨き、自然体で歩んで参ります。

愛知県半田市、森先生の眠っておられるお墓の隣にある句碑です(お墓の写真は失礼になると思い撮っておりません)
 

愛知県半田市、市立博物館には森先生の生前の自筆原稿や修身教授録の初版、お使いになられていた私物がありました(趣旨を申し上げ、同館学芸員様の許可を得て撮影しました)

昭和17年発行『修身教授録』

以上、ご覧いただきありがとうございました。

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