「二千五百年も前の教えが残っているのは真理に近いからだ」/越智直正『男児志を立つ』の感想文を書きました(加藤優)

致知&木鶏会、読書会

両親、友人へのプレゼントに困ったら靴下を渡すと決めている私は靴下屋さんに大変お世話になっている。商業施設や大型スーパーへ行けば必ずある靴下屋の越智さんが漢詩からどんなことを学び、何を感じたのか、書かれている内容に関心を抱き本を開いた。

なぜ漢詩なのだろうかと思い読んでいくと、「二千五百年も前の教えが残っているのは真理に近いからだ」と第二章に理由が述べられていた。私も易経を学んでいるが、単なる占いだと思われたくはない。今この時代にも必要とされ、残されているのは理由があり、不易であると考えている。だからこそ越智さんは中国古典を、漢詩を一心不乱に貪り読んだのだろう。

漢詩を人生の教科書として読む経験はなかったため、大変興味深く、各章、各人物のその世界観に浸り、越智さんはどう読んでいたか考えてみた。

第一章「立志」では、「知識は大切であるが人間の道具にすぎない」という注意から始まった。志を立てることは大切であるが、知識だけ持っても実践することができなければならない。志がなければ、どのような仕事をしてもただ砂時計にように歳月がすべり落ちていくだけであり、人生を無駄にしてしまう。それが気づけているかと問われていた。

第二章「勧学」では、越智さんが送られた人生の逆境にどんな漢詩が胸に刻まれているかより知ることができた。木戸孝允の漢詩から越智さんがどのように噛み締めたのか、読んだ時は心に残る内容であり、ノートに書き残し仲間に共有した。

第三章「行路難」では、耐えること、忍ぶことが深く書かれていた。陸機の猛虎行を、越智さんの言葉にするとなお身に染みて伝わった。「道を守って生きようとすれば孤立することがある。だが、それは一時のことだ。権力にすがれば居心地はよかろう。だが、やがて永遠の孤独に苦しむ。悟りを開いた人ならば世俗の現象に惑わされず、はるかな理想に生きる」という言葉が、私への励ましになり感激した。

最後に第四章「人生」では、「人間は死生観を確立しなければ本物にはなれない」と古典の使い方の変化が書かれていた。人生を語るには親への尊敬や感謝がなければならない。冒頭に書かれていた「胸の叫びが言葉となって溢れ出したもの」まさにその想いが溢れていたように感じた。

越智さんの人生に中国古典や漢詩は必要であり、その作者の言葉たちに出会ったタイミングも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎないものだったであろう。この学びや経験を私たちに教えてくれたことも正にこの時期だったからだと考え、生きている言葉をどんどん書き留め、自分自身や友人が迷っているときにこの言葉たちを「励まし」として、ともに歩んでいきたい。

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