「天地自然の理法」/松下政経塾 リーダーズ・カレッジ「経営者公開講座」に参加しました(加藤滋樹)

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加藤滋樹です。

5月26,27日の日程にて開催されました、松下政経塾・リーダーズカレッジ「経営者公開講座」に参加しました。

今回のテーマは、小田原と湯河原において松下幸之助と二宮尊徳の思想から「サスティナブル経営の理念と実践」を学ぶというものです。

「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」

研修初日、いちばんはじめに訪問し、開校式の会場でもあったのは、神奈川県小田原市にある二宮尊徳(金次郎)を御祭神とした「報徳二宮神社」です。そこでは、宮司の草山明久氏の講話を聞く機会をいただきました。「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」は、草山宮司から教えていただいたものです。また、時を同じくして当社の現場におきましてもこの言葉の大切さ、特に後段を痛感する出来事がありました。そこで、私の研修発表前半の山場として、改めて私なりにこの言葉の意味を考えてみたいと思います。
 
はじめに、「経済なき道徳は戯言」のくだりです。私たち企業人は、価値を提供した以上、それに応じた適切な対価をいただく必要があります。そしてその対価を受け取ってこそ、企業は利益を創出することができ、その利益でもって事業を継続し、次代への投資を行い、発展していくことができます。どれだけ素晴らしい理念を持ち、商品やサービスを提供していたとしても、継続できなければ、結果として世の中の発展のために価値を提供することはできません。だからこそ、尊徳翁は経済なき道徳を「戯言」と表現しています。一方で、企業の目的や事業の成功をどこに置くのか、ということになったときに、これを「利益を出すこと」のみとして良いのか、という問題もあります。もちろん利益というものは重要な構成要素の一つではありますが、「お金を稼ぐことができれば何でも良い」というわけではありません。
 

続いて訪問した、「ういろう」社の当主・第二十五代 外郎 藤右衛門(ういろう とううえもん)様からは、一子相伝、ネット販売、EC、カード決済なし、GoToトラベルもやらないという一貫した姿勢からお客様を顧みずに粗悪な物を提供したり、過度に仕入れ先を叩いて値段を下げさせ、不義理をしてまで自分たちが稼ぐことができれば良いというビジネスには永続性がないことを学びました。

3ヶ月入れ替えによる障がい者アートのサブスクリプションモデルを実施しておられるNPO法人アールドヴィーブルの萩原美由紀理事長からは、「観察をしてチャンスをまつ」「自己肯定感を育む」という大切さを学びました。「私はこれでいい」という言葉には、常に人生に迷える小生自身に勇気をいただきました。


Hamee」社の樋口敦士会長からは、「クリエイティブ魂に火をつける」をテーマにお話をいただきました。大ヒット商品であるEC運営プログラムとiFaceの成功を過信せず更なる成長を目指しておられる一方で、、「本当に謙虚な方」でありました。

二日目、150年つづく「鈴廣かまぼこ」の鈴木博晶社長からは、「社会のためになる需要を創造しよう」という精神のもと、フィロソフィーの合わない取引先との解除や、安い素材を使った廉価版の商品群からの撤退のエピソードを教えていただきました。「売上をつくるのは社員。時にそれをぶっ壊すのは経営者」と述べておられ、経営者でしかできない大切な役割を教えていただきました。


ちぼりスイーツファクトリーの五代目、樋口太泉社長からは、創業者である樋口泉氏の幼少期の体験に涙が出ました。少し引用します。
 
(泉さんの)両親、特に大好きだった母を失った悲しみの中、その頃、泉はお寺の供菓子を見て「いつか、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べてみたい」と話す村の娘さん、おカヨちゃんとおハナちゃんに出会います。毎日、一緒に遊んだ幼友達。しかしある日、奉公に出ると別れたきり、二人は村に戻りませんでした。
 二人を想い、一緒に遊んだお寺の石段に腰かけて涙する中、泉は、ふと二人が「いつか、おいしいお菓子をお腹いっぱい食べてみたい」と話していたことを思い出します。そして、自分が大きくなったら、お金持ちも、そうでない人も「世の中の誰もがおいしいお菓子をお腹いっぱい食べられる時代をつくろう」と幼心に誓います。

それが今日の同社の「おいしいお菓子でみんなの幸せをつくります」につながっていました。
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以上を通じて、あらためてどのような事業にも何を目指すのかという、「理念」というものが必要なのだということを学びました。

幸いにも私たちには「日本でいちばん幸せを感じられる会社を作る」という志があります。日々の経営と現場の活動、その中に志という一本の軸が通ってこそ、はじめて経営者と社員の現行が一致し、顧客の指示を得て、仕入れ先に信頼され、継続性、発展性が生まれていきます。


最後には、「江の浦測候所」を訪問しました。ここは天気を調べるところではなく、「自分自身の立ち位置を振り返り、気づく場所」という意味の「測候所である」と勝手に解釈をしました。

そこで気づいたことが、冒頭に述べた永続経営への秘訣です。そして、それが、松下幸之助が仰った「天地自然の理法」であると気づきました。今回の発表の冒頭では、二宮翁の「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」を取り上げました。二宮翁がその両立を喝破した「道徳」と「経済」とは、論語と算盤であり、「人づくりとマーケティング」ともいいかえることができます。どちらかに重きをおくことなく、両方を重視することが永続経営には大切です。

また、永続経営に立ち向かっていくために、どうしても忘れてはならいのが人としての生き方、経営者としての判断軸の一貫性です。その一貫性を一言でいうならば、松下幸之助が晩年に仰った「天地自然の理法」ということができます。「天地自然の理法」を一言で簡潔にお伝えするのは難しいのですが、私なりの解釈も交えながら試みたいと思います。

松下翁が晩年に記した『実践経営哲学』の中には、「自然の理法に従うこと」という項目があります。ここでは、冒頭に「経営とはまことにむずかしい」といった後に、「考えようによっては、経営とはきわめてやさしいともいえる」とも伝えています。その後、松下翁自身の大きな成功の要因として「天地自然の理法に従うこと」を答えています。天地自然の理法というと難しいように聞こえますが、これは、「雨が降るなら傘をさす」というように、「当然のことを当然にやっていく」という経営の考え方です。なすべきことをなし、なすべからざることをしないということを心がけるということです。

「限りなき生成発展というのが、大自然の理法」であることから、自然の流れに沿った生き、自然の流れに沿って経営の舵取りを行うことが「生成発展」への道といえます。私自身も失敗することが多々あるのですが、自身の些細な知恵や才覚だけで何とかしようということは、自然の理に反するような無理をすることがあり、失敗に繋がります。もちろん大いに学び、実践を積み重ねてリーダー自身が知見を深めることは一面では大切ですが、松下翁のいうように「人知を超えた大きな天地自然の理に従って経営をしていく」ことを生きかたの土台とすることが大切です。

このことは文字では知っていましたが、今回の研修をつうじて、そして最後の江の浦測候所での「人生をアートシンキングする」という散策の中で、アイデアの神様が教えてくれました。

永続経営とは、適切な利益を得て、次代に投資し、世の中の発展に尽くすことです。そして、その秘訣は「天地自然の理法に従う」こと。時に厳しい判断を求められるかもしれませんが、自然の流れというものを腹に据えて、「日本でいちばん幸せを感じられる会社をつくる」という志に立ち向かって参ります。

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