致知出版社『論語と算盤(下)』読書会を開催しました
加藤滋樹です。
ご縁をいただいております、グループホームまごころ・土山の施設長・内記様との発案によりまして、致知出版社から刊行されております『論語と算盤(下)』の読書会を開催しました。
「孔子は後世に残るという点では勝者ではないのか」
「リーダーとしてバランスをとる人材に育って欲しかったのではないか」(かつて『論語と算盤』を推薦した方の背景を慮ってのご発言)
「王道あるのみ。決まりごとが多い介護業界だが、それを優先するがあまりギスギスする現場になっていないか」
「本当に志の高い人はとんでもない努力をするが、一定のルールは守る。一定のルールとは、自分の意見のみを正しいといって突き通すだけでなく、全体をまとめる力のことではないか」
といった、同じ書籍でも様々な方面からの感想を共有することができました。
ご参加いただきました皆様、ありがとうございました。
今回も小生の感想文を転載いたしました。ご高覧をいただけましたら幸いです。
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『論語と算盤(下)』を読んで
今回の(下)においても、現代社会と同じように、往時の渋沢翁は若者の道徳心や、先生・祖先を敬う気持ちが失われつつあることを憂いておられた。
p23、人の評価は「「その人の精神がどれだけ世の中に尽くしたか」であり、「どんな影響を世の中に与えたか」によってするべきなのである。関連して、P157「知識を重んじ、多くを詰め込むだけではなく、良い先生と出会って人格を磨かなければならない」との記載があった。この先生とは「リーダー」と言い換えることもできる。仁義礼智信の教えを社内木鶏会やその他背中を見せることを通じて伝えていきたい。
p44「どんな些細なことだろうと、どんな細かい話だろうと、ほったらかしにしておいてはならない。また、自分の意思に反することなら、それが小さい問題だろうが大きい問題だろうが、キッパリとはねつけねばならない」からは、鳥の目虫の目を意識することだと思った。晩年、自身が気づいた松下電器のみならず日本の行く末を憂いた松下幸之助は、俯瞰する力があったことは当然ではあるが、実際には「いちいち細かい」というエピソードも多々残されていることを思い出した。
p194「全身全霊の努力を尽くしているなら、精神的な事業においての「失敗」は、決して「失敗」ではない」からは、失敗というものは、続けることをやめるから失敗なのだと思った。努力を続ける限り、精神的な失敗というものはない。p213にも同じ表記があり、「結局のところ、人は真面目に努力し、自分で運命を切り開くことが大切です。もしそれで失敗したとしても、自分の智力が足りなかったんだとあきらめればいい・・成功・失敗にかかわらず、天命に任せるのがいい。こんなふうにして、失敗したとしてもずっと努力をし続けるならば、いつかはまたチャンスがやってきます」にも勇気をいただいた。
全体を通じて、渋沢翁の考える公的な成功とは、単なる名声や富ではなかった。
それよりも、世の中の、それは日本のみではなく世界を見渡したときに、どれだけ貢献したのかということが大切なのだということであった。
いかに本気で取り組んだのか、自分が納得すれば、「成功や失敗といったレベルを超えた価値のある生涯」(P215)を送ることができるというものです。
p225-226の後書きには、バランス・中庸の表記があった。
これこそが、前回の(上)の読書会でご指摘をした「と」の力、相反したり一見関係のないものを結びつけ、昇華させていく素晴らしい力に他ならないと考えました。
結局のところ、前回と同じ結論になり恐縮ですが、そういう点で、本日ご参加の皆様は「と」が結びつけるべき、志をもつ素晴らしい方々であります。
ご参加の御礼を改めて申し上げつつ、感想を終わります。
当社コラムをご覧いただきありがとうございました。
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