語ってしまえば観察をされる
桜の開花が進んでいますが、肌寒い日々が続いています。まさに季節の変わり目。体調を崩さないように気をつけたいものです。
さて、言葉に重みを持たせていくためのコミュニケーションについて、前回は「話すのではなく聞くということ」「自分は自身を理解しているとは限らない」ということを述べました。これらの二つは、いわば内面のスタンスについて述べたものです。
本日は、その反対として「相手から見た自分がどう思われているか」ということを考えていきます。
一つ目は、「自分に関連づけることをぐっと堪える」ということです。私も「自分の場合はこうだった」や、「共通の知人がいる」といった、自分発信のアピールをしたくなってしまいがちですが、相手の話が終わるまでは聞くことに徹することを意識したいものです。相手が得意なことを語ってくれることは、私たちの学びの機会にも繋がります。
二つ目は、「聞くことで観察ができる。しかし、語ってしまえば観察をされる」ということです。相手の話を聞くことは、相手が言葉で表現することができない部分まで思いを寄せることができ、信頼関係の構築に役立ちます。しかし、自分が主体になってしまってはそうもいきません。逆に相手から観察をされてしまい、一つ目にあったように「この人は自己アピールがしたい人だな」と思われてしまい、関係性を育むことができなくなってしまう可能性が高くなります。
三つ目は、「体験を体験のまま話さない」ということです。本来は、できる限り相手に話し手としての主導権を譲りたいところですが、どうしても自分のエピソードを話す必要が出てくる場合もあります。その時には、相手の役に立つ何かを加えます。
例えば、自分が提案営業を受けたときのエピソードを第三者に話す機会があったとします。「営業マンが自社のことばかりを話していて、結局こちらの意図を理解してもらえなかった」ということを語るとき、その体験のみを触れるのではなく、そのことからどういうことがいえるのか、例えば「自分が話しすぎてはいけない、相手に得意なことや課題と思っていることを話してもらうことは相互理解につながる」といった自分なりの洞察を加えるというものです。
以上をまとめると、「相手の立場にたつ」ということに尽きます。
相手の立場にたち、譲り、想像する。そんなコミュニケーションを心がけていきたいものです。
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