形だけを伝えることは意味がない

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

「物に本末あり、事に終始あり。先後する所を知ればすなわち道に近し」

 前回の拙稿では『大学』からのこの一節を取り上げました。この一節に由来する言葉として、目的や背景を考えることを本学、手法や手段を考えることを末学といいます。

 例えば、相手の名刺を丁寧に扱わない者がいた場合に、「こうやって扱いなさい」と手段としての扱い方を指導するだけでは末学に終始していまいます。「名刺は相手の存在と同等であり大事にしなければならない」と名刺を相手の象徴として伝えることが本学です。取扱方法だけを指導することは簡単ですが、恐らく翌日になるとまた元に戻ってしまいます。末学としての技術的な側面も大切ですが、「なぜならば」に位置付けられる本学をしっかりと伝えなければ、習慣にはつながらず意味がないのです。

 私たちは本学から伝えていく大事さを知っています。それにも関わらず疎かにしてしまうことがあります。それは何故でしょうか。
 自分にも反省があるのですが、それは「相手に伝えることが簡単だから」ということに起因するのではないかと思います。本学に由来する物事の背景を考えたたり、相手のためにこうあるべきということを伝えるよりも、「⚪︎⚪︎という言葉を使うと良い」「このマニュアル通りに」と形を伝えたほうが、教える側も楽であり相手も即座に理解できるという利点があります。しかし、私が考えるところ、末学のみを伝えるには、次のような三つの欠点があります。
 一つ目は、手段が目的化してしまうということです。例えば、挨拶の仕方を指導したものの、現場では「心がこもっていないつぶやきやボソボソ声」となっており、かえって相手の印象を害するという話はよくききます。

 二つ目は、受け継がれていかないということです。本学である「何のために」が理解されずに業務が引き継がれていくと、徐々に何のためにやっているかが分からなくなり、おかしな方向に進んでしまっていることはよくあります。

 最後に、三つ目として「意欲に繋がらない」ということがあります。やはり必要性を理解しないと、行動や習慣にはつながらないものです。「なぜこのことをしなければならないか」を理解しないと、次第にこの行動を選択することが無意味に思えてしまいます。

 今回は末学についての課題を述べました。次回は時間や手間がかかっても本学を伝えていく大切さについて考えていきます。

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