無知の知の自覚 「客観的に自分を見る」
先週につづいて、「無知の知」について取り上げていきます。この言葉は、英語では”I know that I don’t know anything” と訳されています。
「私は無知であるということを知っている」ということで、駄洒落のようにもみえてしまいますが、より噛み砕いていえば「自分は知らないことがあるということを自覚している」ということになります。
私自身、社内であっても社外であっても打ち合わせ中に分からない専門用語に出会ったときには、即座にその場で調べたりするようにしていますし、それでも分からないようなとき、たとえば業界独特の略語などのときには、「〇〇はどういう意味ですか?」とその場でお伺いし、疑問を解決するようにつとめています。
「自分が知らない」ということに気づかない人、またはそのことを発信できない人というのは、何をいっても響くことがなく理解もしようとしないため、結局のところ、成長する機会を逸している気もします。
知識や経験がないことが問題なのではなく、問題に気づくことができていないことが根本的な問題なのです。気づいていなければ、またはそのことを発信していなければ、考える機会もないため、その先のステージである問題を確かに認識し、考え、解決するための行動をとるという段階に進むことができません。
そして、このための具体的な言動をあらためてまとめてみると、次の三つになります。
「まわりの人たちを観察し、会話をすることで新たな判断材料を取り入れる」
「知らないことに出会ったら、すぐに自分で調べ、それでもわからなければ素直に聞くという姿勢をもつ」
「自分が何かを発信するときには、相手に知見が少ないかも知れないということを前提にする」
つまり、無知の知という言葉を通じて、物事を知っていくための第一歩が「気づき、そのこを発信すること」であるともいえます。そして何よりも、自分自身の無知の知というもの気づくためには、「謙虚さ」が重要です。過去の経験や思い込みなどが、今も通用するとは限りません。もちろん正しいこともあるとは思いますが、現在おかれている状況、自分や相手の立場などから、改めて考えるという行為も大切です。
今回の結論を総じていいますと、「客観的に自分を見つめられるかどうか」ということが、無知の知を自覚する唯一の方法であるといえます。