「明日が来るのが当たり前ではない、もっと一日一日を大切に生きよう」臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏『禅が教える人生の大道 今をどう生きる』を読みました

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こんにちは、加藤優です。

先日、臨済宗円覚寺派管長・横田南嶺氏が書かれた『禅が教える人生の大道 今をどう生きる』(致知出版社)を読みました。
本当に素晴らしい書籍で、多くの気づきがありましたので、本稿にて読後感を共有したいと思います。

 私は、実家が仏教、中学高校がキリスト教でした。宗教に関してのアレルギーは全くありません。仏教もキリスト教も本質は同じだと感じており、それは「感謝」「人々への施し」「向き合うこと」が、私の今までの人生で学んだ宗教観です。そして、私のモットーは「蝋燭のように身を削って周りを照らす」という生き方です。これは、中高の時に学び、憧れた心情であり、今、まさに、そう生きていることを実感しています。

 つまりは、「命」「姿勢」「考えること」が、本書の中からいただいた私へのメッセージであると捉えました。

 はじめに「命」。これは、幼少期から高校生くらいまでに感じたものを思い出しました。私が三歳の頃に、大好きな祖父が逝去。父が大事な話をするときは、仏壇の前であり、家庭の中心も仏壇でした。大好きな人が居なくなってしまったという喪失感と戸惑いが幼少期にありました。

 また、私の母校は全ての行事、特に文化祭に向けて、青春というエネルギーを爆発させていました。高校最後の文化祭は大袈裟な表現ではく、本当に命を削って自分たちが何をこの学校に残せるか、後輩の心に何を残すか、全力を尽くしていました。その時にクラスリーダーとして、命について考える年にしようとクラス目標を「今を生きろ」と文字通り掲げました。

 文化祭では、私たちと同世代の戦中の女学生の気持ちに触れるべきだということで、日本で唯一の上陸戦の舞台となった「ひめゆりの塔」を演じました。その時に、命についてクラスで全員で向き合ってきたのだと思い返しました。だからこそ、命について考える土台となったのではないかと思います。

 次に、「姿勢」。小さいときから正座でお経さんを読んできた経験が大きいです。やらされていると感じていたときは足も痛いし、長くて、お経が面白い言葉に聞こえると笑ったりして、気が散っていました。しかし、何かの拍子に徐々に読まないと一日が締めくくることができないようになり、家族揃って同じ方向を向く時間を大切にするようになりました。

 良い姿勢でお経を読むことによって、過去を振り返り、これからの目標のことを考える時間になりました。自分に向き合うことができるようになり、小さな痛みが気にならなくなりました。

 最後に「考えること」。お釈迦様の「我々は皆、生まれながらにして生きていくだけの力をも持っている」という言葉の引用がありました。こちらの言葉を読んで、シンプルに素晴らしい贈り物なんだな、と腹に落ちました。だからこそ、横田先生がおっしゃる「今を生きることに感謝をしようという生き方」や、仕事ができるということへの感謝、多様性のある社員や経営者仲間とのご縁への感謝。

 つねに感謝が溢れている日常に改めて気付かされました。
 
 改めて、本書を読んで、「明日が来るのが当たり前ではない、もっと一日一日を大切に生きよう」と強く思いました。

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