「人生、一誠に帰す」/『致知1月号』社内木鶏会を開催しました

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング), 致知&木鶏会、読書会

加藤滋樹です。

今月も無事、社内木鶏会を開催することができました。
ご参加の皆さんに感謝です。

今回も、特集総リードの輪読ののち、感想文発表とコメントのフィードバックを行いました。
天に恥じない行動、心に余裕を持って誠をつくす、目に見えないつながりをも生かす等々、素直な感想を共有することができました。

以下、小生の感想文を転載いたします。
ご高覧をいただけましたら幸いです。

明けましておめでとうございます。今回で18回目の社内木鶏会です。

今回のテーマは「人生、一誠に帰す」です。
本書では、誠の道に至り、それを維持していくために、様々な体験の中から生じた「胆力」や「人間性」の重要さが述べられていました。

はじめに、特集総リードでは、「至誠」が語られていました。これは昨年末に訪問した山口県萩市の「松陰神社」においても記載がありました。力の強い人間は力に倒れ、知識や技術に優れた人はそのことに溺れてしまう、中庸を選び誠を尽くすことの大切さが述べられていました。

山田えり子さん、後藤俊彦さんの「清き明き心こそ誠への道」では、二宮尊徳の「音もなく香(か)もなく常に天地(あめつち)は書かざる経をくりかえしつつ」という歌が紹介されていました。ここには、天地自然は真理を伝えてくれているのだから、それを敬虔に受け止める、命の根源として大切にしていくことが述べられていました。天地自然の理法には小生も共感するところが多くありました。同じ読後感を覚えるものとして、上甲晃さん、大谷嘉仁さん「松下幸之助と稲盛和夫の生き方に学ぶ」での「人間とは何かをしっかり勉強しないとリーダーにはなれない」「宇宙根源の力は万物生成発展の法則に基づく」「宇宙には万物をよからしめる愛が満ちている」という言葉、矢羽野隆男先生「誠は天の道なり」での「天の道理が絶体善であるならば、人間の本性もまた善である」「自己実現の道」という言葉がありました。

御歳百歳の蒲田敏子さん「海のような広い心を持って生きる」では、「何事にもへこたれるな」「何事にも囚われず、偏らず一日一日を感謝して生きていこう」というシンプルなメッセージに勇気をいただきました。小生が同じ言葉を発したところで、何ら説得力がありませんが、永年に渡り道を求め続け方からの言葉は心を打ちます。同じく、天野績男さん「終わりなき恩返し」では、苦境の中で「たった一人でも、自分を信じて応援してくれる」「人生を誰かのせいにしても始まりません」「いただいた縁を大切にして欲しい」という言葉たちも同じです。

ドラッカー学会・佐藤等先生「仕事と人生に生かすドラッカーの教え」では、リーダーシップの基礎として、「組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に定義し、確立することである」という言葉が印象に残った。これは、佐藤先生が「致知・人間学コーディネーター養成講座」にて度々仰っている「体系化」の重要性と同義ともいえます。

横田南嶺さんの「静中の工夫と動中の工夫」が身につまされました。かつての横田先生と同じように、小生も「動中では心が乱れてしまう」のである。「火中の蓮」とは、水中ではなく火の中に蓮を咲かせるというたとえから、「現実の慌ただしい日常の動中で修行をして、自らの本心を見失わずに丹田に気を見たせて精進し成果を得てゆく」ということです。小生も、むしろ「動中の真っ只中に突き進む」という盛んな気力を持っていきたい。

以上を総じて考えてみると、至誠の道、中庸の道とは、天が示す道を素直に受け取るということ、自然の流れにしたがうということを、いかに慌ただしい日常であっても強く意識するかということに尽きる。

今まで中庸とは、上でも下でもない、右でも左手もない、ほとほどのところ、真ん中のところ、くらいの意味で捉えていました。しかしそれでは理解が不足していました。
中庸とは、天道、自然の流れ、水の流れという意味であると自分なりに理解しました。そしてそれを得て、誠の道を歩むために必要なことは胆力であり、動じない志であるということであると改めて意識しました。

以上、ご覧いただきありがとうございました。
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