事実と感情「受け取り方には自由がある」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

相手や自分の承認欲求に対してどのように冷静に対応をしていくかといった観点で、いろいろと書いてきました。

 その中で思うことは、「これは事実であるのか」「これは感情であるのか」という意識の切り分けです。決して、感情からの反応がいけないというわけではないのですが、事実と感情のどちらなのかということを冷静に考えることは、大切であると考えています。

 そこで、事実と感情について、今回は、社内での報告や共有の文章を書くという行為を例に考えてみたいと思います。

 私たちが大切にしていることは、データや事象からの事実と、それを扱うかという意見を明確に区別するということです。また、加えて意見は二つに分けられます。それは、「解釈」とその解釈をどういかすかという「示唆」です。

 事実・・・事象やデータ、発言ないようなどの、誰が見たり聞いたりしても同じ客観的な事項

 解釈・・・事実に対する発信者の見解。分析や事実を書いた文脈の意味合い

 示唆・・・解釈からのまとめ。文章の読み手の意思決定を助ける提言

 これら三つが大切な要素となりますが、それに加えて、前提情報として、文章を書くにあたっての背景や目的、課題と仮説、調査や事実の収集方法が入ります。

 事実と解釈を意識することは、失敗した際の分析にも有用です。失敗が起きたとき、そのことを咎めることよりも、客観的に分析・評価し、教訓を次にどう生かすかということが大切です。したがって失敗をいかに分解するかということが肝になります。先ほどの三つの分類を転用しながら、失敗に関するレポートを構成すると以下のようになります。

 事実・・・失敗や事故の客観的事実を正確に記載する

 解釈・・・原因分析と、失敗からの学びを記載する

 示唆・・・次に活かことのできる教訓や知識を記載する

 もちろん、事実は一つであっても、解釈は必ずしも一つに定まるわけではありません。事実に対する反応である解釈には、主体者に選択の自由があるともいえます。つまり、眼前に起きてしまった事実に対して、反射的に不快や怒りの気持ちを抱き、それを発してしまうのか、それとも長い目で見て自分にとって、チームにとってどんな意味があるのか、積極的に解釈できないか俯瞰して考えられるかは、後々に大きな違いがあります。

 起きたことは一つであっても、受け取り方には自由がある。

 できる限り、前向きに解釈ができるリーダーでありたいものです。

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