事実と感情を切り分ける「間違いを起こしたときの対応が問われている」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

前回の拙稿では、起きた事実は一つであっても、それに対する感情の受け取り方には自由があるということを述べました。

 今回からは、理念的なところから一歩踏み出して、具体的に事実と感情を切り分ける技術について考えてみたいと思います。

 事実と感情を切り分ける技術というものについて、もう少し分解してみると、これは何らかの事象、とくに自分に対して好ましくないことが発生したときに、「起きた出来事」と「それに反応した自分の感情」を分けて認識できる技術のことといえます。

 自分にとって好ましくない出来事というものは、いくら気をつけても誰にでも発生します。そこからより一層の問題に繋がっていく人と、そうでない人との違いは、事実とそれに対する反応である感情を分けて人に対してのアクションを冷静に判断し、行動できるかどうかの違いといえます。

 例えば、仕事での小さなミス。誰だって起こしたくないものですが、発生することはあります。起きた際に指摘を受けた場合の反応は人それぞれです。

「なんでこんな些細なことを注意するのか」

「こんな簡単なことを間違えるなんて、やっぱり私はダメだ」

「次はちゃんと気をつけよう」

「どうして私だけが怒られなくてはいけないのか」

 事実というものは「ミスをしてしまい、その指摘を受けた」ということのみです。その事実に対して、怒りが出たり、自己否定になったり、気にならない、といったように、反応には人それぞれの特徴があります。

 事実とそれがきっかけで生まれた負の感情とを統合させて認識していると、組織でのコミュニケーションをこじらせてしまう原因になります。

 注意されたことに腹を立てて一層評判を落とす、必要以上に引きずり再び過ちを発生させる、謝罪や後処理を放棄し信用を失う。社会活動においては、大勢の人たちが関わってモノをつくったり、サービスを提供したりしています。ミスがもとで自分のところで物事の流れを止めたり、まわりの雰囲気を悪くしてしまうことは、良くありません。

 事実と感情を切り分けるということは、決して開き直ることをいっているわけではなく、適切に謝罪をし、対処法を考え実行していくことともいえます。次に同じようなことが起きないように対応していく人は信頼されます。

 事実は誰にでも共通であっても、反応は人によって異なります。その反応が、相手に対する行動につながり、人間関係の良し悪しに繋がっていくといえます。

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