承認欲求が高かったとしても「欠点も含めて自分らしさ」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

急激に冷え込んできました。まわりではインフルエンザで学校や幼稚園・保育園が学年閉鎖になった話題や、黄砂の影響も加わって咳き込みや鼻声になる方などが増えています。健康に気をつけたいものです。

 さて、過剰な承認欲求が現れる具体的な現象について、その特徴を取り上げています。先週までは「他者からの評価を気にしすぎてしまう」「自分ばかりが話してしまい、相手の話が聞けない」「否定されると怒ったり、否定自体を恐れてしまったりする」「不平不満や愚痴が多い」「過剰な表現が多い」といった五つの特徴を取り上げました。今回もその続きを考えていきます。

 六つ目は、「他者を認めたくない」ということです。他者を認めることは、他者の評価を上げることです。本来は他者の幸せを心から賞賛できる人物でありたいのですが、過剰な承認欲求を求めてしまう状態にあると、「他者の評価を上げること」イコール「相対的に自分の評価が下がること」と感じてしまいます。もちろん、冷静かつ客観的に見てみれば「他者の評価が上がること」と「自分の評価が下がること」について相関関係はなにもありません。

 しかしながら、承認欲求が過剰に強い傾向にある場合は、他者の評価が上がることにともなって自分の評価が下がってしまうと考えてしまうため、他者を素直に褒め、認めることが難しい状態となります。

 今まで取り上げてきた「承認欲求が過剰に強い人」の傾向や特徴を見ていくと、「自分にも当てはまっている気がする」という方が多いのではないでしょうか。私自身も、「自分ばかりが話してしまい、相手の話が聞けない」や「過剰な表現が多い」という部分については、反省するところが多々あります。

 しかし、ここから先は私なりの解釈なのですが、承認欲求を心の中で抱いているということは、ある意味、人間らしさであり、不完全なところもすべてふくめて自分という存在を包摂できるのかということも大切であるとも思っています。アドラー心理学でいうところの「自分という存在自体が喜び」という気持ちを抱くことも大切な生き方です。

 結局のところ、取り上げたような事象の程度がどうか、ということであり、ほどほどであれば問題はありませんが、過度な場合は注意をしたり何らかの施策を考える必要があります。

 今回で過剰な承認欲求の事象については終わりとし、次回からは、他者との関係における工夫について考えていきます。

関連記事一覧