二宮尊徳の言行を記した『二宮翁夜話』を読みました
加藤滋樹です。
過日、二宮尊徳の言行を記した『二宮翁夜話』を読みました。
二宮尊徳は通称、二宮金次郎と名乗り、しばしば学校に設置されている「書物(大学)と薪を背負った少年」の銅像や石像で有名な方です。
私なりの感想を下記いたしましたので、ご高覧いただけましたら幸いです。
本書を読み、二宮尊徳翁が活躍した時代が、現代社会に似ていることを思いました。
徳川時代の前半での栄華繁栄が最長点に達した後、度重なる災害や飢饉、過酷な徴税などで民は大変な苦しみに直面していました。また、各藩の藩政も破綻模様であり、現代でいう民間、街の富豪から借金を重ねていました。
そのような時代背景のなかで、二宮翁の生涯をかけた戦いとは「貧困からの脱却」でありました。しかし、それを私たちは短絡的に理解してはなりません。貧困とは一見、金銭的な貧しさを想像してしまいがちですが、最も奥深く根深いことは、「心の貧しさ」なのです。
その前提のもと、翁が取り組んだのは、「心田の開発」に他ならないのでした。翁は「我が道は人々の心の荒蕪を開くを本意とす」と決意を語ったのち、「心の荒蕪一人開くる時は、土地の荒蕪は何万町歩あるも憂ふるにたらざるが故なり」と仰っていました。すなわち、一人でも心の荒廃から脱却できるならば、それは何万町歩の面積の荒地を開拓する価値があると述べています。
次に、私は、翁の報徳思想に照らしながら、現代社会の課題解決の緒を述べてみたいと思います。それは、報徳仕法による国家財政の立て直し、分度をわきまえた国民の生き方、推譲による社会です。これらを通して、翁のいう心の開発に臨んでいけば、本質的な我々日本人の幸せを実感できることとなります。報徳の教えは「至誠」「勤勉」「分度」「推譲」の 4 綱領といわれています。私たちの暮らしをよくするためには、至誠をもって勤勉に学び働くこと。暮らしには、特に支出には分度をわきまえること。そして、節約によって生まれた余剰を推譲すること。推譲をさわらに分解すると、来年のためや災害に備えて蓄えていくことを「自譲」、それにとどまらう、周りの人々、そして集落全体、さらには国家に推譲し貢献していくことを「他譲」といいました。しかし、他譲は一方通行なことではありません。回り回って帰ってくるところは自分自身であり、翁は「我がため人のため」と仰っていました。
最後に、翁の特徴的な指摘として「天道と人道」の両方の尊重意識があります。天道により種は育ち、実りを迎えるが、天道に任せ切りであると田畑は雑草が伸び、風雨に晒され荒廃してしまいます。適切な手入れをしていく人道も大切であります。
残念ながら、現代社会にも同じこと、すなわち「心田の荒廃」が見受けられます。個々の欲望のみが肥大化し、公に、社会に、そして組織に頼り切ってしまい「分度」を忘れています。天道である世の流れ、自然の流れを意識しつつも、適切な手入れと自制による人道によって道理を整えていく、このことは私たちの会社経営にも言えることです。
改めて、私自身を含めた当社全体の心田の開発、私を含めたリーダーの天道と人道の理解を深めていく。そんな必要性を学びました。