平澤興『生きよう今日も喜んで』を読みました
加藤滋樹です。
縁あって、昨年7月より致知出版社様が主催する「人間学認定コーディネーター養成講座」に参加する機会をいただいております。
この度、最終講を迎えるにあたって、京都大学総長をつとめた平澤興先生による『生きよう今日も喜んで』が課題図書として示されました。
同講座にて発表した感想文を転載いたします。
ご高覧をいただけましたら幸いです。
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一年間にわたり、致知人間学認定コーディネーター養成講座にて、人間学を探求していくご縁をいただいた。人に大切なことを伝えていく、そして内にあるものを引き出していく。そのような役割を今後担っていくにあたって、読書感想文や様々なオンライン研修を通じて、本当に有り難い自己探求をすることができた。
そして、最終講の課題図書として本書が示された。率直に申し上げると、森信三先生の『修身教授録』や二宮尊徳の『二宮翁夜話』に比べると、最初は「優しそうだな」という安心感を覚えた。しかし、読み進めるにつれて、読後感をまとめるにつれて、それは大きな間違いであったことに気づいた。
私は今回の養成講座や社内木鶏会、介護施設のリーダーの皆様との木鶏会を通じて、「何かが少しは分かった」ような気がしていたが、それは実に大きな間違いであった。まだまだ、何にもたどり着いていなかった。それを強烈に示唆してくれる、そして私の生き方を整えてくれる有り難い書籍であった。
冒頭の「生きよう今日も喜んで」では、生命には未知な領域が多い、どれだけ探求したとしてもその不思議と精緻さに頭を下げざるを得ないものがある。生きるということは奇跡の連続である。私もその事実に感謝していきたい。
「一 朝に希望 夕に感謝」では、「朝には希望と張り合い(中略)夕には感謝と希望」という、ごく当たり前であるが、大切な心持ちに気付かされた。「多くの人の話をよく聞いてあげて一層自己を深める」、「善悪の心を超越してあらゆるものに慈悲の心を持つ」「苦難が喜びである」「本当に偉い人は偉そうに言わぬ」「談笑の間にその人を伸ばす」「自らに燃える人は、人を燃やす力がある。思い切って遠慮せずに、人々に情熱を与えなさい」。珠玉の言葉に溢れていた。実行力を伴った情熱を持ち、毎日を生きたい。
「二 人生に無駄はない」では、「しくじりながらも、まあこの程度でよかった、ありがたいことだ」という部分に心ひかれた。日々、いろいろとありますが、それに感謝しつつ受け入れていく度量を持ちたい。また、若い人の燃え方は花火式で耐久力に乏しく、老練な人は奥殿に灯るご燈明の如く静かではあるものの、明るさと粘りがあることを学んだ。私も、まだまで老練の域には達しないが、経営という自己鍛錬の修行を経ながら、静かで派手さはなくとも希望という燈をともし続けたい。また、「絶えず新しいことを考えて創造せよ」「情熱と独創と実行により人間は成長する」という部分と本章のタイトルを結びつけて考えた。どうしても経営をしていると「最短経路で無駄なく」ということを思ってしまいがちだが、その時その時は間違いであったり遠まわりであることがあったとしても、それもありがたく楽しみ、将来の糧となり生きていくことであると信じて前進していきたい。
「三 仕事は祈り」では、最善を尽くした上で神に祈ること、その気概に達すれば一時的に波があったとしても大局的には順調に進むという言葉に勇気をいただいた。「人からほめられなくとも、自分が自分に感謝する」「君がおらぬと、周囲が困るという人になりなさい」という部分からは、自分という人生を謙虚に大切にしていくことを学んだ。
「四 癖は飾りもの」では、「金や物も大切であるが、何よりも人を大切にすること」、癖の治し方として「やすりがけ」ではなく、人間を大きくしてそのことを包み込み、飾り物になるようになる治し方が正しいことを学んだ。「失敗し落第しても、問題はそれから立ち上がる力だ、人物になろうとする努力である」という言葉は、私にも大いに当てはまる。失敗だらけではあるが、立ち上がる気概を持って前進したい。
「五 一流の人は明るい」は、本当にこの章のタイトルが我が意を得ていると思った。「相手にも自分にも緊張を与えるようではまだまだ窮屈」は、身につまされることである。「大人は日に新たに、日々に新たに成長するものである」という考え方は、尊敬する松下幸之助と同じことを言っておられた。私も、日に新たに少しだけでも成長する自分でありたい。
「六 道というもの」では、「道は自分で創る。歩くと道ができる」に共感した。私も、「まずは自分が、原野を切り拓く」という意識をもって挑戦したい。
「七 生かされて生きる」では、「心の中で万人に頭を下げ得る人でなければ、万人の長とにはなれぬ」「教育とはいかに相手を褒めるかの研究である」に、多大な教えをいただいた。社員さんとその背景にある家族の人生も意識しながら、仲間に対して「本当に有り難いな」と日々感謝する自分でありたい。
「八 自己との対話」では、最近はこのことを考える日々である。自分とは何なのか、何を目指し、何を深めていくのか。ということを考える日々である。自分の軸は志である「日本でいちばん幸せを感じられる会社をつくる」という想いしか無い。取り柄もそれしかない。このことを自己との対話を通じてより探求し、日々、志に向かって実行ができる環境と仲間に感謝して生きたい。
「九 自らを拝む」では、道の体得という意味において、言葉ではなく、頭ではなく、体で覚え実行をするということを説いていた。「今日一日の生活、実行こそが人生のすべてである」そのことが、絶えざる希望と道を求める情熱を湧き立たせてくれた。
「十 一日生涯」では、日々新しい人生に燃えるために、気魄が必要であるが、その源泉は生かされているということにひたすらに感謝し、喜び、自己の心に頭を育まれるところから生まれるということを学んだ。また、「落ち着く」ということは、神経質にならず伸び伸びとやるということができるようになることに勇気をもらった。
「十一 四苦即四喜」では、生老病死こそが有り難いこととあった。大自然の法則であるということ、病は無理から起こること、一年に四季があるように人生にも四喜があるという捉え方を私も実行したい。
最後の「大西良慶さんに」では、恥ずかしながら、はじめて大西老師のお名前を聞いた。調べてみたところ、清水寺の住職をつとめられ、長寿の高僧としても有名であり、宗派以外の事物にも造詣が深い方でおられた。「よく食べて、よく働いて、よく寝る」ということが善良な人生に導くことを仰っていた。本文に戻ると、「学問の話をすれば素直に賛成」という部分があった。それは、平澤氏の探究心が天の理にもとづくものであり、仏道に通づるものであったということであろう。
本書名の「生きよう今日も喜んで」は、一見わかりやすく、親しみやすく、励みにもなるが、その背景には本当に深いものがあった。
今日も喜んで。
それは前向きに生きるということのように思ってしまうが、決して前だけを見ていきることであったり、楽に生きるということではなかった。また、楽しく安易なことだけをして生きるということでもなかった。背中に重いものを背負い、時に悔しい思いをし、時に涙し、時に病に倒れ、時に坂道に逢ったとしても、それを受け入れ、すべての困難を受け入れ、すべてを生かしていく。その上で「今日も喜んで生きよう」というメッセージなのであった。
それは、私たちの会社の行動指針であり、永年、ご指導をいただいている松下政経塾・塾頭の金子一也先生に賜った御言葉である「すべてを受け入れ、すべてを生かす」につながるメッセージでもあるとも感じた。
良いことも悪いことも、全ての物事と全ての心情を包摂し、喜びの糧にして生きていく。
本書の根底に流れる考え方を、私の生き方と企業経営の実践に活かし、志と理想の実現に邁進していきたい。
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