感情の過剰な反応にどう対処するか「静かに認識する」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

事実とそれに対する反応としての感情について考えています。前回は、自分の傾向に気づくと周りへの対応が変わっていくということを申し上げました。

 ところで、今までみてきたように事実に対しての自分の反応があるように、当然、相手にも反応があります。前回、例として取り上げた出張のように、「そんな出張に経費を無駄遣いして、オンラインでできるのではないか。もったいない」という批判を誰かに言われたとします。この際の相手の反応としては

・寝泊まりするだけ、安いホテルでいいじゃないか

・経費はもっと別のところに使うべき

・何よりも節約が大切

などが考えられます。

 これらは、自分とは異なる価値観から発言しています。私たちが自分の価値観で考えているように、相手は相手の価値観で反応しています。当然といえば当然なのです。そこに、何かがあるわけではなく、自分なりの価値観にもとづく正論ということです。

 ここまでを理解すると、相手の意見に対して事実の認識以上に過度の反応をする必要があるのか、という疑問が生まれてくるのではないでしょうか。

 このような考え方は、相手の反応に対する自分の心の持ちよう以外にも、仕事において何かトラブルが起きたときにも準用できます。

 「このトラブルは、あの人に問題がある」

 こういう反応をすることがあるかもしれません。私自身もそういうことはあります。きっと、事実としても「あの人」が原因なのでしょう。こういう解釈をしてしまうことも一つの必然性です。

 しかしながら、こうした他者の言動に左右されたり、他者の責任を問うたりする姿勢、すなわち自分以外の何かに反応の原因や責任を押し付けるという姿勢は、一生私たちの心を豊かにすることはありません。

 批判をされて感情的になっているとき、逆に誰かを非難する気持ちになっているとき、自己弁護をしたくなるとき、そういったときには、自分の感情反応がマイナス方向に発生します。

 では、そういったときに、どう対応するのがよいのでしょうか。

 私なりの結論としては、そっと静かに自分の反応を認識するということに尽きます。誰かの批判に対しての反応を外に発することなく、また逆に「怒ってはならない」と自己抑制を頑張るのではなく、そっと「あ、自分はいま憤りを感じつつあるな」と静かに見つめるのです。

 そうすることで、不思議なほど、心のざわつきは静まっていきます。

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