いっとき承認欲求が満たされなかったとしても 「事実と感情を分けて認識をする」

加藤滋樹のつぶやき(人づくり×マーケティング)

寒くなってきました。体調を崩さないように気をつけたいものです。

 先週からは、他者との関係を築いていくにあたって、主体となる私たち側のほうが承認欲求が強い場合、どのように自身と折り合いをつけていくかについて、ケースごとに考えています。前回は、「自分ばかりが話してしまい、相手の話が聴けない」「賞賛を求め、他者からの評価を気にしすぎる」といった人たちにおける対人関係の留意点について考えました。

 三つ目は、「愚痴や不平不満が多い人の対人関係の留意点」です。

 感じたことがあるかもしれませんが、愚痴や不平不満が多い人には近づきたくないものです。もちろん自分がそうであったら、印象が悪くなってしまうことは明らかです。当然ではありますが、愚痴や不平不満が多い人は周囲からの評価を下げることになり、さらに認められなくなり、より一層愚痴や不平不満が多くなるという負の循環に陥ります。こういったことにならないためにも、認められなかった場合に愚痴や不平不満を発しないように、少し自分を俯瞰して自省することを心がけたいものです。

 四つ目は、「否定されると怒ったり、否定を恐れたりする人の対人関係の留意点」です。

 自分の考えを認めて欲しいという欲求が強いほど、それが認められなかった場合に、怒りや悲しみにつながり、感情が乱れやすくなります。そのため、自身にこの欲求が強い場合、自分の考えが認められなかった際に不機嫌になりやすくなります。それ故に、自分の考えに執着してしまったり、苦言に耳を傾けられなかったりすると、人間関係に悪影響が及びかねません。

 そうならないように、自分の考えが認められなかった場合には、自分の感情に意識を向け、その乱れを整えることが大切です。また、この傾向のある人は事実と感情を同一に考えてしまう場合が多々あります。あくまでも、否定されているという事実はあったとしても、そのことが、「自身の人格を否定していることとは全く異なる問題である」ということを認識することが必要です。

 今回お伝えしたいことは、いっとき自分のことが認められなくとも、その事実と感情を切り分けて認識したいということです。相手から例え意に反することを言われたとしても、この部分さえはっきりと意識していれば、自分から承認欲求の欠如にともなう負の発信をしてしまうことが少なくなっていくはずです。

 

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